今回は『飯田高原』(はんだこうげん)編です・・・
今日は延期されていたタデ原湿原~泉水山麓の野焼きが行われました。
これで大将軍、タデ原湿原、豊後渡し、坊がつると私達の観光協会が関わる全ての野焼きが終わりました。
後は春らしさを待つばかりなのですが今年はチョット寒いですよね。
野焼き後の長者原2012.4.7
野焼き直後のタデ原湿原です。(ラムサール条約登録湿地) 2012.4.7撮影
う~ん、美しい!
前回は長者原の地名の由来について書きましたが、長者原とほぼ同じ時期に飯田高原の名前もつけられています。
まあ飯田にある高原ですから飯田高原なのですが、この地域の総称として呼ばれるようになったのは前記の1926年にあった油屋熊八氏のテントホテル開設と少年団キャンプ大会の開催が契機となっている様です。それまでは地蔵原、中の原、みの原など部分的表現でことたりていたのが観光の幕開けとともにその総称が必要となり、飯田の佐藤達(いたる)氏による観光パンフレット『飯田高原案内』によって初めてその名が使われました。(郷土史家・小野喜美夫氏による)